京都御苑の写真と水戸藩邸跡
京都御苑の北側の同志社大前の方の門
こちらは西側の門です。
そして、御所をでて少し西に行ったところに、
となりに立っている案内にはこう書かれていました。
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此付近水戸藩邸跡
この付近、烏丸通下長者町西入北側は、江戸時代に水戸(茨城)藩邸があった所である。
藩邸が置かれたのは古く、貞享三年(1686)の地図「旧藩々上邸箇所」に記されている。
明治のはじめ藩邸が廃止された時は、敷地千三百二坪(約四千三百平方メートル)の広さであった。
水戸藩は、徳川家康の子・頼房を初代藩主とする御三家の一つで、石高は三十三万石。二代目藩主徳川光圀は「大日本史」編集の事業をはじめ、幕末まで継続された。
編集の資料を集めるため、京都にも多数の係員が派遣され、この藩邸はその拠点となり、借用資料の筆写も藩邸で行われた。
幕末には水戸藩は尊皇攘夷と佐幕とに藩論が分かれたが、ともに諸国志士の運動に大きな影響を与えた。
京都市
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